以前の記事で出産の話を大まかに書いたのですが、備忘録も兼ねて細かく書いておこうと思います。育児日誌では細かく書いてあるのですが、ストーリーとして読むことはあまりないのです。
目次
第一子である長女を緊急帝王切開で出産した時の記録
2014年5月某日の23時頃に長女を出産しました。
その日はやたらお腹が張る感じがありました。痛いとかではなくて張る感じでした。よく張るのでお腹をさすっていたら母にひと月前なのに気にしすぎと言われて泣いたくらいでした。(のちに謝られました)
そして19時半頃、夕食の準備後トイレに行くとオリモノにおしるしのような血が混じっていました。 病院に行かなくてはと連絡先の書いてあるファイルを取り出そうと実家の自室に戻り、母に相談している時に赤ちゃんにどんと蹴られたような感覚とともに薄い血の出血(多分羊水と一緒になったもの)がありました。病院に電話をかけた直後、大量に破水しました。
入院の荷物を載せてもらい、車の座席にゴミ袋を敷いて、下半身をタオルケットで服の上からグルグル巻きにして、両親とともに病院へ行きました。
主人は遠方に長期出張中だったのでこれから病院に行って出産になることを電話を電話で伝えましたが、それ以降は母が連絡をしてくれました。
病院に着くまでに40~50分かかりました。その間に陣痛の間隔が5分くらいになっていました。車に乗ったら更に水が出てきたので再度病院に電話したりもしました。病院に着くと(着替えたのか記憶がおぼろげですが)すぐに分娩台に乗りました。でも陣痛が次第に遠のいていくような間隔がありました。
ドコドコと赤ちゃんの心拍が聞こえる機械(その時はそれが我が子の心拍だと知りませんでした)のドコドコが聞こえなくなることがありました。看護士さん一人と残されて周りが分娩室の外でバタバタしている音が聞こえました。両親に手術の同意書を書いてもらっていたようです。
その後先生がやってきて「胎児徐脈のため緊急帝王切開にする」というお話を聞いて、同意書にサインしました。術衣にどうやって着替えたのか忘れましたが、震えながら分娩台から自分で運ばれる台に乗ったのは覚えています。
手帳には「21時くらいになっても陣痛が弱く赤ちゃんも徐脈になったので手術になった。出血が多いと言われ不安だった。気持ちはまだ飲み込めていなかったが体はガクガクしていた」と書いてありました。
全身麻酔での手術でした。手術になったからきっと我が子は無事だという確信がありました。だから、目が覚めて先生に聞いたのは「子宮は残ってますか?」でした。子宮が無くなる場合もあると同意書に書いてあったのですごく心配していました。
赤ちゃんも無事と聞いて安心して泣いてしまって母には鼻水を拭いてもらい、病室に移動しました。36週0日の早産で長女は体重が2000gちょっとで生まれたので、体重が少し増えるまでNICUに入院になりました。
また記憶がおぼろげですが、赤ちゃんがNICUにいるという話も多分その時聞きました。母が「NICUに運ばれる前に撮らせてもらった」という写真を見せてくれたと思います。病室に移動した後はすぐ両親は帰宅しました。
夜中は1時間毎に体温と血圧を測ってもらったこともあり、興奮していたのかあまり眠れませんでした。主人は遠方からバスと電車と飛行機を乗り継いで、出産翌日の朝一で駆けつけてくれました。
両親や主人にすごく心配させてしまって申し訳なかったです。
出産翌日から自分の退院まで
手帳など詳細な記録が残っているので書こうと思えば詳しく書けるのですが、小説のようになってしまうので大まかに書きます。
翌日(1日目)は立っただけでふらついて赤ちゃんに会いに行けませんでした。赤ちゃんの動脈が閉じていないと聞いて心配しました。
出産の翌々日(2日目)、車椅子に乗ってNICUに行きました。やっと長女に会えた時は本当に安心して泣いてしまいました。 抱っこできて嬉しかったと手帳に書いてありますが、その時の写真の私は血の気がありません。初搾乳もしました。
出産から3日目、歩行器なしで歩けて初シャワーでした。長女の初沐浴を見学、鼻からのチューブからではなく経口哺乳になり、動脈の穴が塞がりました。
出産から4日目、やっとお通じが来て腹痛から開放されました。緊急帝王切開で事前に排便処理できなくて、4日もお腹が張って苦しくて腸閉塞が心配でした。長女に哺乳瓶で初授乳できました。点滴も外れて沐浴しやすくなったようでした。
出産から5日目、初めておっぱいから直接母乳をあげました。
出産から6日目、長女が泣いたタイミングでミルクが飲めるようになりました。それまでは時間が決まっていました。
出産から7日目、黄疸がひどくなって光線治療を受けていました。モニターのシールやアイマスク(長女の時はシールタイプだった)を剥がすと痛いみたいで泣いていてかわいそうでした。
出産から8日目、私が退院しました。産科の看護士さんは全員助産師の資格をお持ちで、搾乳の指導も一生懸命してくださったのですごく助けられました。
NICUに2週間通う
退院後は長女に届ける母乳を出すのに必死でした。3時間毎に搾乳で起きるのは普通のお母さんと一緒なので寝不足でした。「まだ他にすることがないので他のお母さん達よりは大変じゃないのだ」と自虐的でした。
長女は心臓や動脈に穴があいてたり(塞がりました)退院のときには血液検査で貧血と診断されたりで心配が多かったです。でも、体重が少ないだけで正期産まであと1週でほとんど体ができていたので比較的早く退院できました。
退院する時は病院から「小さく生まれた分、他の子に比べて抵抗力がないので1ヶ月くらいは外に出さないでください。お宮参りは構いませんが本当にお宮参りだけにしてください。4ヶ月くらいは人混みや病院などを避けてください」と言われました。
通っている間に戸惑ったこと
NICU内では赤ちゃんに消毒してからしか触れないことと、カメラなどを触ったら消毒必須なことは必要だとわかっていても、自分の子供だけど自分の子供に触れている感覚ではないというか、なんと表現すればいいのかわかりませんがすごく気を遣いました。
長女のときは遠慮して1時間くらいで引き上げていたら「時間が短いとこちらも安心で来ないから渡せない」と言われました。退院直前に長時間の育児トレーニングがありました。多分これは第一子だから?なのかもしれませんが。
そしてオムツ替えとかどこまで手を出していいのか1人目のときはわかりませんでした。沐浴させるのも、沐浴にはスタッフが必ずつくので人手が足りないかなとか色々気を遣って難しかったです。
なんかそういうのって事前に教えてもらえればいいのにと思っていました。今は日によって面会時間が違うと計画が立てにくかったんだろうなと思えますが、そういうのも含めて教えてほしかったです。
1日このくらいは居てほしいとか。退院前に何回くらい沐浴練習が必要とか。お世話になってるのはよくわかってるけど、いや、よくわかっているからこそ聞けないんだと思います。
一日中神経を尖らせて子供をみてくださる先生や看護士さんには感謝しかないのですが、システムに色々戸惑いました。
緊急帝王切開と早産と低出生体重児という条件が重なった時の心の問題
出産後はちょっと鬱っぽくなりました。緊急で心の準備が出来てなくて、出産に納得がいかなくて産後が苦しかったです。帝王切開も別の痛みがありますが、普通分娩の人が産みの苦しみを経験するのが羨ましかったのです。
お医者さんや看護士さんにそういうことはないか聞かれてもなかなか話せないもので、明るく振る舞ってしまいました。
言わずもがな、ご存知だったと思いますが。
細かく書くと下のような気持ち。
- 普通に産みたかった、産んであげたかった 。
- こんなに早産になってしまったのは自分が気をつけていなかったせいじゃないのか 。
- 動脈と心臓に穴が開いてるって言われた(今は塞がってるけど)可哀想。私が早く産んでしまったからだ。
- 搾乳しに通う授乳室、他のお母さんは赤ちゃんと一緒にくるのに私は一人だけ。変に思われてないだろうか 。授乳室に1人で通うのが辛い。
- 赤ちゃんと一緒で羨ましいな、寂しいな。
- 私が今できるのはおっぱいを搾ることだけなんだから頑張らなきゃ 。
- 点滴がズレないようにテープでぐるぐる巻かれた小さい腕、痛くないだろうか。
- もっと大きく産んであげられればここ(NICU)に入らなくてよかったのに。 (ずっと一緒にいてあげられるのに。)
- モニターを剥がす時に皮膚が伸びて痛くて泣いてるのが可哀想 。
- 母親なのにずっと側に居られない、触れるときも白衣でアルコール消毒してから。
- 赤ちゃんが泣いていても看護士さんに聞かなければ何も出来ない 。
- ここ(NICU)に何時間も居座っていいのかな 。
- 帝王切開の傷、夫は気にしないだろうか。
- 次からも帝王切開って言われた、怖い。
- 普通分娩で出産できた人に対して劣等感がある 。
- 普通に産むときの痛みを経験したかった。
- 陣痛あったし、あと4cmまで頭がきてたのにな。
- 傷をかばって変な姿勢で歩く(数ヶ月続きました)から歩き方が変になってしまった。
- 退院後可愛いし自分の子だって頭でわかってるのに実感がなかなか湧かない。カンガルーケアがなかったからか 。
という感じで考えてると涙が出てきたりしました。だから心が無防備で、ちょっとしたことで傷つく時期でした。どうしようもないじゃないかってことばかりだから、人に話しても無駄だと思いました。
母に「今は帝王切開っていう産み方があったからよかったのよ。普通に産んでたら赤ちゃん生きてなかったんだから。」って言われてから気持ちがだいぶ楽になりました。
おっぱい(母乳)に助けられた
私は母乳でもミルクでも赤ちゃんが健やかに育てばそれでいいと思っています。でも少なくとも私はおっぱいに助けられました。
生まれたとき娘に会えたのが出産後2日目だったせいか母親の実感というか自信がなかなか持てなくて、そんな時に唯一の拠り所がおっぱいだったんですよね。だから断乳の時はありがとうおっぱい、お疲れ様という気持ちで色々思い出して涙が出ました。
入院中、授乳室で他のお母さんが赤ちゃん連れてきておっぱいあげてるのが羨ましくて夜中に泣いたこと。私が入院中はNICUの面会時間が待ち遠しくて時間になると冷凍母乳を持って飛んでいったこと。
娘の3週間の入院中、毎日母乳を届けたこと。自分の娘なのにスタッフさんに気を使って面会時間を短くしたり、そしたら面会時間が短いから任せられない的なことを言われて焦ったりしたこと。
出すのに必死だったおっぱいを必死で止めるのが切なかったです。
一緒にいられない分、つなぐものとして必要だったのだと思います。
以上が長女出産時の記録です。もうちょっと短くまとめるはずでした。
第一子で初体験が多かったせいか書いていたらすごく長くなってしまいました。
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